エリェナ パァヴロヴァ顕彰会について Toggle


 

Elena Pavlova

Elena Pavlova

 
 この顕彰会は、日本のバレエの生みの親であり、将に祖と云えるエリェナ パァヴロヴァ女史を偲ぶと共にその功績を周知し、永く顕彰することを目的に活動するものであります。
 白系ロシア人バレエ ダンサー・エリェナ パァヴロヴァElena Pavlova(ィエリェナ パァヴロヴァ、通称エリアナ、エレーナ/ パヴロバ、パヴロワ、パブロバ/日本名・霧島エリ子) は、ロシアでの革命を逃れ、大正8年(1919)に来日しました。女史は、わが国バレエ芸術の黎明期、巷間にあって自ら実演活動を行う傍らダンサーの育成にも努め、その後の日本バレエ界を担なって行った多くの舞踊家を輩出し、ダンス クラスィクの紹介と普及に著しく貢献いたしました。

 

~「エリアナ パブロバ顕彰会」発会~
「エリアナ パブロバ顕彰会」は、昭和59年3月、服部智恵子の発意により、鎌倉七里ガ浜のパヴロバ バレエスクール跡地を“日本バレエ発祥の地”と定め、そこにエリェナ パァヴロヴァ女史を顕彰する記念碑の建立を目的にして組織されました。当初の役員は以下の通りです。

昭和59 (1984)年3月  「エリアナ パブロバ顕彰会」 発会
会長    服部智恵子 (昭和59年3月30日没)
会長代行  島田廣
副会長   貝谷八百子
理事    片岡マリ、影安正夫、佐藤寅雄、牧阿佐美、高柳美根、高野銀三、中川鋭之助、早川俊雄、三浦泰、村松道弥
監事    近藤玲子、大滝愛子
相談役   松久建一
顧問    野村光一、今日出海、中村省司
事務局(橘秋子記念財団内) 柴田善、森龍朗、横瀬三郎、小林えつ子、黒田佳子
事務担当  山口正人

 

~エリアナ パブロバ顕彰碑建立まで~
 募金活動は、昭和59年3月、エリアナ パブロバ顕彰会発会ともに開始され、「一口千円、何口でも」をスローガンに全国的なキャンペーンを行いました。国内の各バレエ団体や鎌倉市への協力要請、通信の発行のほか、バレエ公演会場に出向き、エリェナ先生の写真を大きく引き伸ばしたポスターを掲げての募金活動も行いました。それらは、新聞などでも大きく取り上げられ、3年間で1千5百万円もの募金をいただきました。
 しかし、その間に諸物価は高騰し、計画は難航を極めましたが、バレエスクール跡地の地主、鎌倉市腰越の小動(こゆるぎ)神社から、土地20坪の無償提供のご芳意を受け、さらに、蘆原建築設計研究所(所長の芦原義信氏の長兄は日本バレエ批評界の権威・蘆原英了氏)のご厚意で、設計・監督料はすべて無料となりました。また、芦原義信氏の紹介で清水建設本社が施工をして下さることとなり、清水建設も顕彰会の趣旨にご賛同下さり、塩分の多い風雨の強い土地柄、材質が高価とならざるを得ない中、破格の値段で予算に倍する立派な建造物を作ってくださることとなりました。
 こうして、多くの方々のご厚意によって「エリアナ パブロバ顕彰碑」は、昭和61年12月に完成。除幕式が行われました。その後顕彰碑は、鎌倉市に寄贈されました。また、パァヴロヴァ家遺品も鎌倉市に寄贈され、現在に至るまで鎌倉市が大切に保管して下さっています。

昭和59年3月29日  エリアナ パブロバ顕彰会発会
昭和61年3月10日  顕彰碑起工式
昭和61年12月18日  顕彰碑除幕式
昭和62年3月18日  鎌倉市役所採納許可

完成したエリアナ パブロバ顕彰碑

完成したエリアナ パブロバ顕彰碑 海岸道路際に聳える9メートルと6メートルのステンレス製二重アーチと顕彰碑庭園

設計:児島学敏氏(芦原建築設計研究所)
施工:清水建設

海岸道路際に聳える9メートルと6メートルのステンレス製二重アーチと顕彰碑庭園

児島学敏氏による施工前の顕彰碑模型

二重アーチの後方、壁面にはめ込まれたパァヴロヴァ一家のレリーフ

二重アーチの後方、壁面にはめ込まれたパァヴロヴァ一家のレリーフ

レリーフに記された「日本バレエ発祥の地」は、当顕彰会名誉会長・島田廣氏の筆による

レリーフに記された「日本バレエ発祥の地」は、当顕彰会名誉会長・島田廣氏の筆による

基金寄附者ご芳名は、当顕彰会副会長・森龍朗氏によって毛筆書きされ、顕彰碑の地下にタイムカプセルとして埋められている

基金寄附者ご芳名は、当顕彰会副会長・森龍朗氏によって毛筆書きされ、顕彰碑の地下にタイムカプセルとして埋められている

 

~顕彰会再結成~
 こうして多くの方々のご協力により、「顕彰碑建立」という顕彰会当初の目的は果たされ、今日まで25年の歳月が経ちました。「エリアナ パブロバ顕彰碑」は、鎌倉の新名所として、多くの方々に親しまれています。また、この間、パァヴロヴァ女史に直接薫陶を受けられた方々も、顕彰会を構成していた殆どの方々も物故者となられ、その後、会の活動は休止の状態のまま今日に至っています。
 そこで、2011(平成23)年4月、エリェナ パァヴロヴァ没後70年を機に、関係有志が集まり、新たに顕彰会の体制を整え直し、これまでに諸先生方が示されたパァヴロヴァ女史顕彰の志を引継いで、新たに顕彰活動を再開し、将来にも繋げて行くべく顕彰会の再起を図る運びになりました。また、それにともない、これまで日本のバレエの母Elena Pavlovaは、エリアナ・パヴロバ或はパブロバァ等と種々カタカナ表記されてきましたが、本顕彰会では再結成を機に「エリェナ パァヴロヴァ」と出来るだけ源発音に近いカタカナ表記にして女史に敬意を表すと共に、未来に備えました。