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エリェナ パァヴロヴァ顕彰会名誉会長・島田廣先生 ご逝去


本顕彰会名誉会長であり、公益社団法人日本バレエ協会名誉会長、新国立劇場初代舞踊芸術監督でもあった島田廣先生が、7月25日心不全のためお亡くなりになりました。

島田廣は、1919年9月27日京城生れ。日本大学芸術学部在学中の1940年、エリェナ・パァヴロヴァに入門。同年11月≪白鳥の湖≫でパァヴロヴァの相手役に大抜擢され初舞台を踏む。エリェナ亡き後、姉弟子であった服部智恵子とパヴロバ・バレエスクールを支える。1943年、服部・島田舞踊団及び研究所(1946年に服部・島田バレエ団に改名)を設立。戦前から一貫して創作バレエを作り続ける一方で、東京バレエ団第一回公演≪白鳥の湖≫日本初演で、貝谷八百子先生を相手役にジークフリードを主演するなど、王子役に相応しいスタイル、品格を持つダンスール・ノーブルとしても活躍した。また、島田廣の大きな功績として、振付家や舞踊家として活躍するのみならず、常に広い視野で日本バレエ界の進路に留意し、1946年の東京バレエ団結成、1958年の日本バレエ協会設立、1997年新国立劇場開場など、日本バレエ界全体を視野に入れ、バレエ教育向上のため、奔走しまとめ上げてきたことがある。エリェナのほぼ最後の弟子といえる島田廣であるが、戦後の日本バレエの繁栄は、彼の尽力なしではあり得なかったといえる。主な作品として「令嬢ジュリー」(昭和30年度芸術選奨文部大臣賞)。1986年紫綬褒章、1992年勲四等旭日小綬章を受章。2002年文化功労者に選ばれる。

1983年、エリェナの妹であったナデジダ パァヴロヴァが亡くなると、1984年3月、服部智恵子の発意によりバレエスクール跡地に記念碑の建立を目的とする「エリアナ パブロバ顕彰会」が設立された。しかし、服部智恵子はその直後に急死。島田廣が会長代行として、顕彰碑設立運動を引き継ぎ、1986年12月の完成まで導いた。現在残る顕彰碑に埋め込まれたレリーフにある「日本バレエ発祥の地」の文字は、島田廣の筆によるものである。